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◆2024.11.24 普段の言動と性癖で当てろ!同じお題で各自がSS書いたらどうなるの会

◆SSその3

​「姫様の修学旅行」

「わたくしは、こんなところに来たかったわけではありません!」

 

 アルデリーテは限界だった。うっすらと冷たい風を感じる肌寒さの中、慣れない森の夜の道で、涙目になりながらも懸命に歩みを進めている少女と、なんとか支えている従者二人の姿があった。

「姫様があれほど外に出たいとおっしゃっていたのですよ」

 筆頭側仕えのアニーは大荷物を抱えて姫様の隣に控えていた。

「まだ、動物の声が聞こえないだけ、良かったと思うようにしましょう。この森に入るのは初めてですから、どんな危険があるのかまだはっきり掴みきれていないのです」

 護衛騎士として仕えているエレーヌは、武器を携えて周囲を警戒している。

「わたくしは外に出たいとお父様に言っただけなのです。まさかこんなこわいところに飛ばされるなんて夢にも思いませんでした!」

 

 身の回りのすべてを側仕えたちに世話される生粋のお嬢様であったアルデリーテは、舗装されていない土の道を歩いたことがなかった。何もかも初めてなこの場所で三人。いくら自分に最も忠実な臣下の二人が一緒だとしても心細かった。

 もう何時間歩いたかもわからない。あたりを見回しても先が全く見えない。目が慣れてきた今でも、視界に映るものは僅かに彩度が違う草木の輪郭だけ。植物は知らない言語で会話するように、人間の社会を拒絶するように声なき音を発している。アルデリーテには自然が自分を取り囲んでいるようにしか思えなかった。

 

 ……どうして、こんな目に。

 

 アルデリーテは、これまでを思い出していた。

 

      ◆ ◇ ◆

 

「アルデリーテ、学習は進んでいるか?」

 夕食の場で父親に聞かれて言葉に詰まる。あまり勉強は好きではない。つい筆頭側仕えのアニーのほうを振り返ってしまう。

「領主様、アルデリーテ様は大変頑張っておられます。とても真摯に向き合っておられますよ」

「自分の領地のことを学んでいるのですから、もちろん進んでいますわ。わたくしも先生に教わって吸収していっております」

 アニーが順調だと言わないあたりに、自分の進みの悪さを自覚させられてしまう。ついついちょっと見栄を張って答えてしまった。たとえ勉強が好きでなくても、必要な知識だということくらいはわかる。

「そうか。わかった。今年からアルデリーテも貴族たちと頻繁に顔を合わせることになるだろう。次期領主としての意識を持つ時期がそろそろ来たのだ。より一層、励め」

 あまり勉強が進んでいない状況を敏感に感じ取ったのか、領主である父親は少し表情を引き締め、威厳ある声で激励した。

 

 アルデリーテは領主夫妻のもとに生まれた一人娘。普段は城で生活している。身の回りの世話はすべて側仕えたちによって行われる身分で、領主の父親から次代領主となることがすでに伝えられている。アルデリーテの領主教育はこの夏の終わりから始まって季節一つ分の時間が経過したが、まだ机上で教材を使って学習することしかしていない。

 文官が教師となって、詳しく領地のことを教えてくれるものの、言葉と文字だけでは何も頭に入らない。手描きの農作物を見ても、形を想像することしかできない。教材といっても、過去の文官たちが領主教育のためにまとめた手書きの巻物と木札だけ。とても身に入らないし、とてもつまらない。

 

「わたくしは、いつも城の中だけで生活しています。時折城の外に出ることもありますが、それでも城下町までです。自分の領地のことなのに、見たことがない土地や作物が多いのです。言葉だけで聞いても、理解が難しいときがあるのですよ」

 農作物や気候の勉強をしても、城の外のことまでは実感することもない。これでは自分もきちんとわかったような気がしないのだ。

 アルデリーテは次期領主であるがまだ幼い身なので、現在は直轄地の、しかも城がある街までしか行動を許されていない。普段から両親と信頼できる側近たちによって手厚く守られているためか、城の外に出るにも領主の許可が必要になる。アルデリーテには側仕えと護衛騎士が側近としてつけられ、彼らには次期領主を支える役割が与えられている。

「ですから、わたくしはいろんな土地に足を運んでみたいのです。これも勉強ですよね、お父様?」

 これで机上の時間が減ればいいなと思って提案してみた。城の外に出るためにはまずは領主である父親の許可が必要だ。父親は茶器をおくと腕を組んで悩み始めた。渋い表情を浮かべている。おそらくこの提案は受け入れられない気がした。

「許可しかねる。まだ一度も会っていない土地持ちの貴族のほうが多く、道中の安全が保証できているとは言えない。次世代を担う大切な一人娘を、領地内とはいえ何日もかけて旅をさせるのは時期尚早ではないか?」

「わたくしは良いと思いますよ。そのための側仕えと護衛騎士ですから、少しでも見識を広げることは大切なことだと思います」

「だが、アルデリーテはまだ七歳だぞ。私は不安だ」

「あら、領主一族の側近たちが信用できないのですか?」

「そういうわけではない。ただ……」

「では問題ないと思います。わたくしも、この地に来て各所に足を運んでようやく、理解したことばかりですから」

「………………わかった。ただし、絶対に側近を自分から離さないこと、人里間の移動は馬車を使うこと、日没前には必ず宿に入ること。この条件ならば領地内での遠征と外泊を許可する。場所や経路、日程を含めて教師と相談すると良い。出発前までには私たちにも知らせよ」

 他領から嫁いできた母親のおかげで、許可が下りた。渋々といったところだが、父親の許可が出たことには変わりない。これで机上の勉強もしばらくは少なくなるだろう。

「ありがとうございます! お父様」

 アルデリーテは満面の笑顔で、お礼を述べた。

 

 出発までの間は、巡行ルートを側近たちと考えたり、行き先となる街のことを学んだり、領主夫妻からも話を聞いたりして、当日を楽しみにしていた。

 なかなか身に入らなかった勉強も、急に楽しくなってくるのがすごい。目的があるからだろうか、自分でも驚くくらい知識を蓄えていっているのがわかる。側近たちがとても喜んでいたのが自分ごとのように感じられて、とても充実した準備期間だったように思った。

 

「行ってまいります、お父様、お母様」

「側近たちの言うことはきちんと聞くのだぞ。あくまでも学習の一環だからな」

「アルデリーテ、貴方の見る景色がさらに鮮やかになることを願っていますよ」

 領主の父親の顔は少し険しかったが、母親はとても笑顔で送り出してくれた。領主夫妻とその側近たちに見送られ、アルデリーテたちが乗る馬車は城を出発した。

「初めての街の外ですね! とても楽しみです。アニーもエレーヌも道中よろしくお願いね」

「……あまり羽目を外さないようにしてくださいませ。これもお勉強ですよ」

「守るのはわたくしたちのお役目ですから、楽しみながら領地のことを学んでいきましょうね」

 

 二人の側近とアルデリーテを乗せた馬車は、街の石造りの道路から通用門を抜けて、農民や商人、職人たちによって整備された街道を走り出した。

 

      ◆ ◇ ◆

 

 ……それなのに。

「あの部屋が空間転移のための部屋だと誰も知らなかったのです。アルデリーテ様も我々も、このような事態になるとは予想できていませんでした」

 エレーヌが警戒した状態で慰めてくれる。確かにその通りかもしれない。効力を誰も知らなかった。でも、どう考えても安易に行動した自分が悪いと思う。

「いえ、わたくしが浅はかでした。触れてはいけない、とエレーヌが言う前にわたくしが触れてしまったのが悪かったのです」

 

      ◆ ◇ ◆

 

 実地での学習という名目で、アルデリーテは各地を回った。この時期に領主一族が農地を訪れることが稀なのか、次期領主だと思われているからか、それとも単純に身分が高い者たちが訪れることへの義務感からか、どの地域でもアルデリーテ一行を熱烈に歓迎し、料理や民話でもてなしてくれた。

 農村地域はすでに収穫を終え、各家で冬支度を進めているところだった。険しい冬に備えて食料を備蓄し燃料と資材を確保する。冬は雪が積もって、野外での栽培はとても厳しくなるのが自領の特色なので、基本的に冬は家にこもることになる。冬に収穫できる作物は屋内でしか栽培できないが、出荷できるほどの量を確保できないので、その地域だけで消費されていくらしい。

 アルデリーテたちは、産地の収穫物で作られた汁物や長期保存を目的とした塩漬け野菜、燻製肉の焼き物などを各地で振る舞われた。地域ごとにちょっとずつ味わいが違うのが面白かった。食後は現地に伝わる民話や、普段の農民がどんな暮らしをしているかを気さくに話してくれた。何もかもが新鮮で、すべてが自分にとっての糧となっていることを実感する。自分が言いだしたわがままとはいえ、この機会が巡ってきたことに、アルデリーテは心から良かったと思った。

 

 巡行もそろそろ終わりに近づいてきたころ、ある場所に訪れたアルデリーテたちは、他の地域と同じく振る舞われた料理と住民との会話を楽しんだ。

 親近感を持って接してくれる農民の中には「これはあまり皆さんにはお話していないことなのですけれど」と話題をくれることもある。

「実はですね、アルデリーテ様。この地には触ると危ないと言われる場所があるのです。それをここの人たちは押さずの間と呼んでいるのです」

「押さずの間? どこかの建物のお話なのですか?」

「はい、今日泊まられる宿はこの地に訪れる領主一族の皆様や貴族たちのために準備されたものなのですが、その宿の中では、立ち入ってはいけない場所、触れてはいけない場所があるのです。これは領主様も知らないと思います。普段ここまでお話できませんから」

 面白い。入ってはいけない場所、という言葉に興味が湧いてくる。

「それはちょっと注意しなければなりませんね、お宿のどこなのですか?」

 護衛騎士のエリーヌは、少し身を乗り出してその農民に尋ねた。

「確か、入口から一番奥にあった押し扉です。その部屋は倉庫になっているので、宿泊客が入ることはほとんどありません。鍵はかかっていませんから誰でも入れてしまいます。実際にその宿にいた従業員の一人が、しばらく消息不明になったと聞きます」

「消息不明に?」

 ちょっとした怪談話だろうか。城でも似たような噂話があったことを思い出す。

「ええ、まあ、すぐに見つかったのですが、その従業員が言うにはあの部屋は危ないと。それから、押さずの間と言われるようになりました」

「面白いお話をありがとうございます。わたくしたちが入ることはなさそうですね。お部屋を出る時に気をつければよいでしょう」

「ええ、そうですね」

 

 そんな話をした夜、アルデリーテたちは宿泊先の部屋に通された。ゆっくりと時間を過ごし、そろそろ寝ようかと思ったころ、アルデリーテが壁に色合いが他と違う部分を見つけて、ついその場所を触ってしまったのだ。すると、突然扉が現れ勝手にドアが開かれた。その直後、眼が眩むほどの光が部屋全体を覆いつくして、アルデリーテたちを包み込むと、ふわりと体が浮き上がった。

 まぶしい光が消えたころには、すでに三人は森の中だった。

 

 森に飛ばされてしまったアルデリーテたちは途方に暮れた。荷物ごと移動させられたのは救いだったのかもしれない。ただ手で持つにはあまりにも量が多く、森の中に置いてきたものもある。

 人の声も聞こえなければ、真っ暗で動物の声も聞こえない。木と葉がこすれあって会話するような、そんな音しか聞こえなかった。

 

「いったん、この森を出たいです。助けを呼ぶにしても、ここでは誰にも気づかれませんよね?」

 心配そうな声でアルデリーテが問う。

「……不用意に動くことはおすすめできませんが、そもそもここがどこかもわかりませんもの。月を見ながら進みましょうか」

「わかりました、わたくしのそばを離れないでくださいませ。必ずアルデリーテ様とアニーを守ります」

 

 そうして歩くこと数時間。たいして変化がなく面白みに欠ける風景と疲れ切って重くなった足取りが前に進む気力を奪っていく中、あてもなく歩く三人の前はいまだ暗いままだった。

 

      ◆ ◇ ◆

 

「少しだけ、お休みしませんか?」

 森を歩いていると、少し開けたところに出た。ちょうど三人が座れそうな場所もある。アニーが提案すると、アルデリーテとエリーヌは疲れ切った声で同意した。

「休憩、しましょう」

 

 アニーは持ち物から布を広げ、アルデリーテの座る場所に敷くと、お茶の準備を始めた。

「姫様は覚えていらっしゃいますか? 五歳の時、城の中でお茶会を開いたときのことです」

「ええ、覚えています。わたくしが、お茶をこぼして泣いてしまったことですよね」

 

 この日は母親から五歳の祝いとして、初めて一から仕立てた衣装を着て、領主一家の誕生会が開かれた。両親とアルデリーテ、そしてそれぞれの側近たちだけによるささやかな記念だったが、とにかく嬉しかったことを覚えている。

 あまりにもはしゃぎすぎたせいか、カップを取りこぼしてせっかくの衣装を汚してしまった。母親からの大切な衣装を汚したことがあまりもショックだったためか、涙が止まらなかった。

 

「周りの側仕えをあわてさせてしまいましたね。とても恥ずかしかったです」

 当時のことを思い出しただけで顔が熱くなってきた。カップを傾けてごまかす。柑橘と生姜の風味が身体を温めてくれる。ほっと息をついて、自分の気持ちを落ち着けた。

「それだけ楽しかったのですよね。わたくしも思い出深いですよ。あれから二年、あのときも領主様から聞かれたと思いますが、今の姫様にもお伺いしたいと思います。貴方が領主になったあとは、どんな領地にしたいですか?」

 アニーが真剣な表情で、次期領主としてのアルデリーテに問いかけた。

 五歳の誕生日に同じことを聞かれたときは、特に何も考えていなかったと思う。たぶん、子どもながらに適当なことを言ったような気がする。

「あのときは確か、いつもご飯が美味しい領地にしたい、と言ったように記憶していますね」

「くすくす、とてもいいことではありませんか」

 エリーヌがとても微笑ましそうに笑う。

「食べ物に困らない領地、いつも美味しいご飯がある領地。騎士は作戦や任務で長い時間現場に詰めていると満足に食事がとれないときもありますから。任務を終えたときのご飯が美味しかったらきっと幸せでしょうね」

 優しく肯定してくれるエリーヌにくすぐったい気持ちを覚えつつも、改めて真剣に考えてみる。

「いろいろな土地を巡って、領民と会話をして、特産品を食べて、文官たちの話を聞いて……いろいろしてきましたが、そうですね……」

 カップに視線を落とす。お茶の表面がゆらゆらと揺れている。

「……たぶん、今でも変わっていません。食べ物に困らず、いつでも美味しいご飯が食べられて、雨風をしのげる場所があること。領民全員が豊かで幸せに暮らせること。その目的でこの領地が一丸となって繁栄できる仕組みをつくりたいと思います。……わたくしは領民とともにありたいと思います」

 アニーはとても柔らかな笑顔で、深く頷いた。

「立派なことだと思います。わたくしたちも、姫様を支えるために、全力を尽くすことを誓っています。側近たちはアルデリーテ様とともにありたいと思っていますよ」

「アニー……ありがとうございます」

 やっぱりまだ子供っぽいかな?と思いつつも、肯定してくれる側近たちがありがたい。ちょっと涙が出そうだ。

「さて、休憩はおしまいにしましょう。そろそろ出口が見えるころだと思います。そう思いたいです」

 アルデリーテは涙をごまかすように手をパンと叩くと、勢いよく立ち上がった。

 アニーとエリーヌはそれぞれ後片付けをして、出発準備を整えると、アルデリーテとともにふたたび森の中を歩き始めた。

 

      ◆ ◇ ◆

 

 代わり映えのしない、森の道をひたすら歩いている。夜も相当に更けてきたはずだが、まだまだ朝を迎えるまで時間があるらしい。

 

「アルデリーテ様! 水の音が聞こえますよ!」

 エリーヌが華やいだ声を上げた。やっと、森の出口が近づいているのだろうか。

「あ、アニー、エリーヌ! 目の前に光が、光が見えます。きっと出口は近いです!」

 思わず歩みが早くなる。どこにそれだけの体力と気力があったのかと思えるほど、自分の足が先を急がせてくる。

 歩くたびに明かりは広がり、陽の光かというほどのまばゆい橙が広がっていく。

 

 

「わあ!」

 森を抜けると、大きな湖が広がっていた。辺りには橙の光が広がり、水面に反射して幻想的な光景が広がっている。遠くに見える山の輪郭すらも湖が映しだしていく。

 木々は化粧を施したように紅く染まり、ある葉は色づき、ある葉は白く輝いている。動物の気配がないことが気にならないくらいに、美しい光景が広がっていた。

 ほとんど色味がなかったからか、今までの森とは全く別の世界へと足を踏み入れたかのようだった。

「この光景が領地の中にあるなんて……」

 実地で学習する、ということの真髄を見たような気がした。この光景は一生忘れられないくらい強烈に印象に残るだろう。

 アニーとエリーヌは目の前の光景になんの言葉も出ないようだ。目に光景を焼き付けるように湖を見つめていた。

「アニー、エリーヌ」

「はい、姫様」

「アルデリーテ様、いかがなさいましたか?」

 アルデリーテの呼びかけでようやく我に返ったらしい二人の顔は、目の前の橙に照らされたからか、赤らんでいるようだ。

「わたくし、本当に、今回城の外でお勉強ができてよかったと思います。いろんな場所に連れてきてくれて、ありがとう」

「こちらこそ、お役に立てたことが何よりの誉れです」

 

 空が少しずつ明るくなってきた。そろそろ朝になる。長い時間、ずっと見つめ続けていた三人は、ようやく今の状況を思い出した。

「それで、わたくしたちは結局、どうやったらあの場所に戻ることができるのでしょうか」

 アルデリーテがつぶやいた瞬間、再び三人はまばゆい白の光に包まれ、身体がふわっと浮き上がったように感じられた。あのときと同じだ。またどこかに飛ばされてしまうのだろうか。光を避けるように目をつぶっていると、浮遊感は収まり、まばゆい光は消えていった。

 

「……元の場所に帰ってきました、わね」

 空間転移される前の宿に戻ってきた。荷物も一緒なのは本当にありがたい。

 

「あら? お父様?」

 なぜか、自分たちが泊まっていた部屋に、腕を組んで難しい表情のまま、押さずの間の扉をずっと睨んだまま動かない父親がそこにいた。

「アルデリーテ! よかった、無事で。本当に良かった……」

 涙を浮かべるほど我が娘の無事を喜ぶと、アルデリーテを抱きしめた。

「お父様。心配させてしまってごめんなさい。わたくしも、アニーも、エリーヌも無事です」

「本当によかった。夜になって姿が見えなくなったと聞いたときは、生きた心地がしなかった」

 

 アルデリーテたちの姿が見えなくなった翌日の朝、誰も何も無い領主一族の宿泊部屋を見た宿屋の主人が、大慌てで「領主の娘たちが宿から姿を消してしまった」と村長経由で緊急通報した。領主一族はこの一報を受けて、アルデリーテのいた宿まで急行した。住民たちに話を聞いてみても三人を見かけた者は現れず、捜索は八方塞がり。結局その日は、手がかりとなるものはなかった。

 アルデリーテの捜索を命じたあと、その日の夜に例の押さずの間の怪談話を住民から聞いた領主は、様子を見るために宿泊部屋で一晩過ごすことを決意。執務などのすべての予定を放り投げて、夜を明かすことにしたようだ。

 

 そして次の日の朝。領主はその部屋でじっと、あの扉を睨んだまま愛娘のことをずっと案じていたということらしかった。

「お父様。本当に不思議なことがありました。こんど、じっくりお話を聞いてくださいますか?」

「いつでも聞く。まずは、そうだな、城に帰ろう」

「残りの日程は……」

「それは、もういい。皆も心配している。城の中はアルデリーテがいなくなったことで大混乱しているのだ。元気な姿を見せることが最優先だ」

「はい……」

 

 城に戻ると、領主一家と側近たち、城に仕えている人たちが全員揃って迎えてくれた。

「無事で本当によかったです、おかえりなさいませ。アルデリーテ様」

 

 領主夫人の母親は、アルデリーテの姿を見てすぐにかけより、そっと抱きしめた。

「アルデリーテ、ほんとうに無事で良かったです。エリーヌたちも守ってくれてありがとう」

 エリーヌは首を大きく横に振り、アニーは深く頭を下げた。

「もったいない言葉です。お礼を言われるほどではありません。自分の仕事を全うしただけです。……本当は、このようなことにならないようにするのが側近の役目のはずでした。アルデリーテ様を危険にさらしてしまったことを深くお詫びいたします」

「筆頭側仕えとしてアルデリーテ様を安全に城までお世話することができず、本当に申し訳ありませんでした」

 二人は、次期領主を危険に巻き込んだことを心から悔やんでいるようだった。

 

 もしかしたら、二人がアルデリーテに声をかけ続けてくれたのは、そういった負い目があったからかもしれない。

 

「わたくしが不用意に扉に触れなければ起こらなかったことです。こうして城に帰ることができたのですから、二人とも、ご自分を責めないでくださいませ」

 

      ◆ ◇ ◆

 

「お父様、お母様。お話したいことがあります。あの実地学習の成果を、見ていただきたいのです」

 アルデリーテは、自分なりに学んだことをまとめたものを両親に見せた。各地に足を運んだことで学んだこと、学習した内容とどう結びついたか、感じたことや思ったこと、自分なりに改善したいと思ったことを体系的にまとめた報告書のようなものを作ったのだ。そして、森の中を歩き、幻想的な湖に出るまでのことも、きちんと盛り込んだ。

 様々な場所に降り立って学んだことは、次期領主としての自分にとって大きな経験になっただろう。

 

「わたくしは、この領地を、いつも美味しいご飯がたべられ、美しい風靡な景色を楽しみ、たくさんの民たちが生み出した富や品物を手にとって、すべての領民が幸せに豊かで暮らせるような、そんな領地にしたいと思っています」

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