◆SSその1
「湖の戦い」
日は既に落ち始め、空は少しずつ暗くなっていく。薄く広がる無数の雲によって、どうやら完全な闇に落ちることはない。
双眼鏡で対岸の森の様子を窺っていた指揮官のラルゴは、ふと空を見上げて呟いた。
「そろそろ動くか」
後方を振り向き、空いた手を振って待機していた兵士達へ合図を送る。事前に伝えておいた作戦通りに動き始めた兵士達の合間を縫って、重々しい鎧に身を包んだ大柄の兵士が足音を立てながらラルゴへと近づいてきた。
「グラーヴェ、どうした」
「どうしたもこうしたもあるか。どうして俺は待機なんだ?」
「仕方がないだろう。お前の装備では湖に落ちたが最後、死ぬしかない。重要なのはこの森への侵入をできるだけ防ぐことだ。湖の戦闘はオオウツボ部隊に任せておけばいい」
なおも不満気なグラーヴェだったが、そもそも彼はカナヅチでオオウツボに乗れなかった。その代わりに手に入れたのが重装備をものともしない筋力である。対岸から攻めてくるアルタ王国のオオウツボ部隊がこちら側に上陸したとしても、首都へのルートは門番としてグラーヴェが立ちはだかることになる。
オオウツボ部隊の装備は大抵、オオウツボ達の動きを阻害しないために軽装でまとめられている。並の攻撃では傷ひとつつかない鎧は強敵に見えるだろう。
「その鎧は我らがバッサ帝国の技術を結集して作られたものだ。その用途は湖に飛び込むことではない」
「……わかったよ」
グラーヴェはしぶしぶ了承した。彼の性格的には前に飛び出して暴れまわりたいのだろう。だが、これだけ大きな湖を挟んで睨み合っている状態では暴れまわる場所もない。
ラルゴ達バッサ帝国と敵対するアルタ王国は、この森に囲まれた湖畔を挟んで南北に領土を分け合っていた。しかし、近年の異常気象による作物の不作や野生動物の凶暴化、未知のウイルスが蔓延し発生した感染病という災害によって世界中が混乱した。その影響で多くの国が滅び、隣国に吸収され、そしてまた滅ぶという負の螺旋に囚われている。
ある時、この森で収穫される光る木の実が感染病に絶大な効力を発揮することがわかった。さらに、野生動物の凶暴化の原因もその感染病であることも判明し、バッサ帝国は一躍救世主となった。
無論、瞬く間に勢力を拡大したバッサ帝国を警戒して、一部の国は同じように光る木の実が収穫できるアルタ王国側についた。だが両国では決定的に違うものがひとつある。光る木の実が収穫できる森は、その大部分がバッサ帝国側の領土にあったことだ。
光の森と呼ばれているそのエリアは、湖に沿った場所にしか存在しない。両国の地続きとなっている国境は岩山と防壁で区切られており、光の森を求めて度重なる戦闘が起こったものの、バッサ帝国の勝利に終わった。
バッサ帝国側は光る木の実によって国内が安定し始めており、長い戦闘でも首都から補給を受けることができる。対して光る木の実の収穫量が少ないアルタ王国は他国の支援があったところで攻めれば攻めるほど疲弊していくばかり。当然の結果だった。
「……戦闘が始まったようだな」
「配置につけ、グラーヴェ。通常の国境が突破できなかった以上、奴らはこの湖の国境を越えて乗り込んでくることしかない。湖の上までは防壁を作っていないからな」
かすかに聞こえた戦闘音。ラルゴは自身の装備を確認してから不敵に微笑んだ。
「死にぞこないどもの特攻だ。油断して喉笛を嚙み切られても知らんぞ」
「はっはっは。心得た」
ガチャガチャと鎧を鳴らしながら去っていくグラーヴェから目を離して、ラルゴは湖畔へ向けて移動を始めた。
この湖が完全に国境を跨いでいることで、両国は船の代わりにオオウツボという野生動物を飼育し、水上での足として活用している。今回は互いのオオウツボ部隊の戦闘がメインとなるが、湖の範囲が非常に広いため、撃ち漏らしの可能性もないとは言い切れない。
グラーヴェは確かに門番だが、あれは万が一の最後の要だ。オオウツボ部隊を第一陣とするならば、湖畔に隠れ控える第二陣がオオトカゲ部隊である。
オオウツボは水中・水上での活動に特化しているため、地上に上がってしまえばただのエサとなる。オオウツボを置いて兵士達が上陸してきたところで、逃げ足となるオオウツボ達をオオトカゲ部隊が処理することで完全に孤立させ、戦意を奪う。運良く湖に戻ったとしても、そこにはバッサ帝国のオオウツボ部隊が戻ってきている。まさに前門のオオウツボ、後門のオオトカゲといえよう。
「上陸はあったか? プレスト隊長」
「いいえ。肉眼で確認できる範囲では特には」
「正面を避けて大きく迂回されている可能性は?」
「今のところはないですね。側面に展開している班からの無線では、既にこちらのオオウツボ部隊がかなり戦果を挙げているとのことです」
「よく見えるな」
「ラルゴ殿が作られた双眼鏡が非常に便利なもので、各班にひとつずつ持たせています」
プレストと呼ばれた兵士は、このオオトカゲ部隊の隊長だ。地上で狩りを任せれば彼女の右に出るものはいない。
とはいえ、この様子では彼女達の出番はほとんどなさそうだ。湖の上で繰り広げられる戦闘の音は、徐々に少なくなっていく。
「殲滅戦になるだろうとは予想していましたが、いやはや。ここまで一方的だと寂しいものですね」
残念そうに言うプレストに、ラルゴは苦笑する。アルタ王国軍は起死回生の特攻を仕掛けてきたというのに、喉元どころかその手足にすら届かないとなると、物足りなさも感じてしまうのだろう。味方の損害が最小限に抑えられるなら、指揮官としてはそれに越したことはない。現場の燻ぶりは正直手に余る困りごとだった。
「……おや」
「うん?」
ふと、プレストが双眼鏡を覗き込んだ。ピタリと動きを止めて一度双眼鏡から目を離し、また改めて覗き込む。どうにも様子がおかしい。ラルゴが声をかけようとする前に、プレストの方から困惑の声があがった。
「ラルゴ殿……あれは、いったい何なのですか……?」
ラルゴは自分の双眼鏡を取り出す。彼の目に映ったのは、大きく波打つ湖とその中央で暴れまわる巨大な生物だった。バッサ帝国のオオウツボ部隊が赤子の手をひねるが如く喰われていく。鞭のようにしなり、敵対するオオウツボを丸のみするその姿は、通常のオオウツボの三倍ほど大きい。また、オオウツボは蛇のように一直線の長い体をしているが、時折水上に見える部分はオオトカゲの体に酷似している。オオトカゲの体から数体のオオウツボが生えている個体……それは、ラルゴの知識にはひとつだけ該当するものがあった。
「あれはおそらく……ヤマタノギガントオオウツボだ! まさか生産されているとは……すぐにオオトカゲ部隊の戦闘準備を頼む!」
「……っ、承知しました!」
プレストに急いで指示を出すと、ラルゴは一旦森の中に戻り、後方に控えた第三陣の陣地に向かった。第三陣はオオウツボ部隊、オオトカゲ部隊だけでは処理できない状況になった際に出撃する最後の部隊である。
ラルゴの背後でオオトカゲ達の咆哮が響く。ヤマタノギガントオオウツボをあえて地上に上陸させても、サイズ差もあって簡単には倒せないだろう。何よりオオトカゲ部隊は近接戦闘に特化している。ここはヒット&アウェイを駆使した中距離戦を得意とする第三陣……ウルフタンク部隊の出番だ。
「アニマ!」
ウルフタンク部隊を指揮するアニマはラルゴの同期。珍しく焦っているラルゴを見て、緊急事態だとすぐに察した。自身のウルフタンクから飛び降りると、ラルゴへと駆け寄る。
「まさか、湖を突破されたのか? あの王国にそこまでの戦力があるとは思えないが」
「そのまさかだ。戦況をひっくり返すために賭けに出たようだ」
ラルゴはアニマに、突如現れたヤマタノギガントオオウツボの事を話した。周囲の兵士もどよめく。オオウツボ部隊がほぼ壊滅したとあっては、不安も大きいだろう。
「オオトカゲ部隊までむざむざ死なせるわけにはいかん。頼む、アニマ」
「そのための俺達だ。任された」
アニマはウルフタンクに飛び乗ると、遠吠えによって合図を送った。全二十体のウルフタンクには射手と操縦で二人ずつ兵士が乗り込んでいる。ヤマタノギガントオオウツボよりは二回り以上小型だが、四足歩行の戦車はこの森でも縦横無尽に駆け巡り、装備した戦車砲を安定した体勢で放つことが可能だ。これならば相手の攻撃を避けつつ反撃することができる。
「これでもどうにもならなければ、ヤツを呼ぶほかないが……」
土を巻き上げながら飛び出していくウルフタンク部隊を見送りながら、ラルゴは一人呟く。ラルゴから伸びる影がニヤリと笑ったが、それを無視して再び湖まで戻る。
オオウツボ部隊を殲滅して上陸したヤマタノギガントオオウツボは、迫りくるオオトカゲ部隊を簡単に散らしていた。怒涛の攻撃で二体のオオウツボを千切っていたが、まだ六体のオオウツボが残っている。合わせて八体ということは、やはりラルゴの予想通りヤマタノギガントオオウツボで間違いないようだった。
「下がれ!」
ウルフタンク部隊の強襲により、次々と戦車砲が撃ち込まれていく。その衝撃で一体、また一体とオオウツボが吹き飛んでいった。ヤマタノギガントオオウツボの中心であるオオトカゲ部分は、攻撃の合間を縫って食らいつくバッサ帝国のオオトカゲ部隊が牙を立てていた。
ヤマタノギガントオオウツボは巨体を揺らしながら咆哮する。その衝撃波で森の木々が大きくしなった。体勢を低くして衝撃波を凌いだアニマのウルフタンクが、ヤマタノギガントオオウツボの目を撃ち抜く。プレストの乗るオオトカゲが、ヤマタノギガントオオウツボの背中へと飛び乗り牙を立て、内臓に向かって火を放った。
絶叫、と表現すればいいのだろうか。耳をつんざくような甲高い音が、辺りに響き渡る。先の咆哮が可愛く思えるほど、脳を直接揺さぶってくるような音がラルゴ達を襲った。たった数秒が何分にも何時間にも感じられる。
しかし音がすべて止んだ時、ヤマタノギガントオオウツボの体は大きな音を立てて大地へと倒れ込んだ。
「……か、勝ったのか」
思わずラルゴは呟いた。湖に敵影はなく、周辺も他に変わった様子はない。だが嫌な予感がする。ラルゴは声を張り上げた。
「総員、森まで退避しろ! 今すぐにだ!!」
切羽詰まったラルゴの声に、全部隊が一斉に動く。殿を務めたプレストとアニマが森へ足を踏み入れたその瞬間、ヤマタノギガントオオウツボが爆発した。
千々に吹き飛んだヤマタノギガントオオウツボの欠片が、落ち葉のように辺りへ散らばる。ラルゴは大きく息を吐いた。アルタ王国の特攻は確かに、成功していればバッサ帝国に大打撃だったであろう。
「……アニマ、プレスト隊長。周辺の警備をおこないながら、オオウツボ部隊の生存者を捜索してくれ。私は今回の件を報告しに首都へ戻る」
「あちらさんの残存勢力を発見した場合は?」
「その場で処分だ。オオトカゲ達のエサにでもしておけ」
「了解」
かくして、湖畔での戦闘はバッサ帝国の勝利に終わった。アルタ王国の技術の粋を集めて投入されたヤマタノギガントオオウツボだったが、量産するには財力も資源も足りず、あの一体が限界だったようだ。
バッサ帝国側としてもオオウツボ部隊に多大な損害があったため、光の森の警備はともかく、国境周辺の湖の警備が手薄になってしまっている。アルタ王国の息の根を止めるには、今はまだ時間が足りなかった。
光の森は変わらず、争いの種となる木の実をつけていた。